「運」は神様からの指図

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「収入が低いのは、結局努力していないだけ。別にわざわざ救ってあげる必要はない。努力する気を削ぐから、累進課税もやめて欲しい。」
後輩はそれに対し、
「これだから俗物は…いいですか、努力できないのは、スタートラインが違うから本人のせいじゃないです。
エリート「がんばればみんなできる」 庶民「そんなことない」 という議論が平行線をたどっていたという話。 | Books&Apps

を読んで。

私も「努力は必ず報われる」と成功者が言うことは、確かに事実ではないと思っている。

確かにあなたは成功した。しかし、だからと言って「必ず」と言い切れる根拠は何なのか?

世の中には報われない努力は存在する。いや、報われない努力の方が遥かに多く存在するだろう。

でも私は、ある人は努力が報われ、ある人は努力が報われないのは、決して不公平だとは思わない。

まして、「成功しない者は努力が足りないのだ」と断じることは全く的を射ていないと思っている。

では、努力が報われる場合と、報われない場合では、いったい何が違うのだろうか。

私は、これには2つの要因があると思っている。

1つは、どういう努力を選んだのか。

間違った方向で努力をしていたら、絶対にいつまでも報われることはない。これは割りと誰でも分かることだろう。

2つめは、やはり、「運」の存在だ。

上に引用したコラムでも、最後にはそれについて言及しているが、成功者の話を見ると、間違いなく、どこかで「運がついていた」と思える出来事に恵まれている。

アーティストがアマチュア時代に、たまたまライブを見に来ていたプロデューサーの目に止まったとかいうのは良く聞く話だ。

では、そういう「運」に恵まれる人と恵まれない人の違いは何なのだろうか? やっぱり恵まれる人と恵まれない人がいることは不公平ということなのだろうか?

私はこれもそうは思わない。というか、これが今回の本題になるのだが、私は「運」というのは神様の指図だと思っているのだ。

ある方向に努力をしていて、それが間違っていない場合、きっとその過程で何らかの「運」に恵まれる。その「運」に加速されて、その努力はどんどん成功に向かって突き進む。

つまり、「運」というのは、神様が「お前の進む方向はそれでいいよ、そのまま頑張りなさい」ということで、神様が手助けしてくれていることだと思うのだ。

逆に、「運」に恵まれないという場合、これは「お前の進む方向はちょっと違うぞよ。別の道を探しなさい」ということなのかも知れない。

それか、もしかしたら、あまりに鈍感で、せっかくの「運」に気づかない場合もあるかも。これはもったいない。

人生における課題は、人それぞれ違う。だから、全ての人が同じ人生を選ぶ必要はないし、同じことをやって同じ結果が出る必要もない。むしろそれは当然のことなのだ。不公平でもなんでもない、自然なことなのだ。

自分がこの人生で取り組むべき課題に取り組んでいるとき、神様は「運」という形で手助けをしてくれるのだと思う。

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