仕事が大好きだから突っ走っていたんじゃない。自分の内にある恐怖に絡めとられないように、ただ逃げていただけなのだ。
“走る”のと”逃げる”一見やっていることは一緒だ。同じ速度で同じ方向に進んでいるわけだから他人から見れば違いなんて些細なもの。
だが逃げる行為は「心のベクトル」が真逆を向き、体を後ろ後ろに引っ張るのである。
走っていたんじゃない、逃げていただけだ。 – 自省log
なるほどと思った。
私も社会人になってから30数年間、歩いたり、走ったりしてきた。
確かに毎日、止まってはいなかった。
物理的には毎日会社に通い、何ごとかを行ってきた。
でも、それは自分で「走ってきた」と言えるのだろうか。
実は、「逃げていた」だけなのかも知れない。
最近は、「首に綱付けられて引きずり回されている」の感もある。
どちらも、決して良い状態ではない。何故なら、それは自分の意思で走っているのではないから。自分で走りたくて走っているのではないから。
それから、企業に勤めていると、こういうこともあり得る。
大企業に勤めるというのは電車に乗ることに似ている。あなた自身が時速60マイルで走っているのか、あなたはただ時速60マイルで走っている電車でじっとしているだけなのか?
by アメリカの石油王 J・ポール・ゲッティ
もはや、走らされもしていない。動くことすらしていない。
動いていると思い込んでいたという状態。
いずれにせよ、これらは人生の大切な時間の浪費だ。
今までの自分は、少なからずそういう状態だったかも知れない。
しかし、それに気づくことが出来たのは幸いだ。
これからは、自分の意思で、走りたい。歩きたい。
シンプルに、そう思っているのである。