ブラック企業に入社してしまい、その会社がブラックだと分かった上でも、会社を辞められない若者が増えています。日本の社会は継続こそが美徳とされており、我慢できないから逃げ出したと捉える方も少なくありません。
社員を奴隷化するブラック企業の手口とは?「上から抑圧し、洗脳」 – ライブドアニュース
私は、ひとつの会社で定年まで勤め上げようとしている。なんと37年間、辞めずにやってきたことになる。
その数字だけを見れば、長かったという事実だけを見れば、それは確かに我ながらすごいなとは思う。
でも決して、「継続こそが美徳」だと思ったから、続けようと思って頑張って働いてきたわけではない。
たまたま、ブラックではないそこそこの企業で働くことが出来たという幸運もあるだろう。そこそこ、面白い仕事をさせてもらえていたということもあるだろう。
でも、ここまで続いたのは、決して楽しかったからとかでもなく、かと言って嫌だったけどなんとか頑張りぬいた、ということもでもなく、言ってみれば「惰性」だったというのが近い気がしている。
これまでの間に、辞めていった同期はかなりの数がいる。
では、途中で辞めていったヤツは、我慢できずに逃げたヤツなのだろうか?
一時はそのように思っていたこともある。他の会社に行っても嫌なことはあるのだから、少々のことに我慢できないヤツが、青い鳥を求めて会社を移っても、決して幸せにはなれないはず。と。
確かに転職にはそういう面もある。
でも今は、決してそれだけではないと思うようになった。
もしかしたら、ひとつの会社に勤め続けていたとしても、それが「惰性」に過ぎないのだったら、実は、逃げていたのは、自分の方だったのではないか。
何から逃げていたのか? それは、「変化」からだ。
自ら、可能性を開くために、「変化」を求めてみること。
自らを成長させるために「変化」を求めて「行動」すること。
それによる転職であれば、これは、決して「逃げ」ではない。
さて、逃げていたのが、実は自分の方だったと分かったとしても、今更自分の過去をどうすることが出来るものでもない。
そして、これまでの長い年月も、私にとっては、その先の人生を決意するために必要な、私なりの「必然」であったのだ。
そのことも、今の私には同時に、分かっている。